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火車迷的臺灣旅遊

〜台湾を鉄道で旅する〜

台中車站

台中車站。やはりこの威厳のある姿には惚れ惚れする。

第 7 日目: 台中 → 新竹 → 内灣 → 新竹 → 台北

台中の朝・再び

今日はいよいよ台鐵完全制覇である。内灣線に乗り、台北へ帰れば完乗だ。

ところで、ここまでの旅の中で呂光號に殆んど乗っていないことに気がついた。台湾の鉄道の旅も今日が最終日、ここは何としても呂光號に乗りたい。 しかし、台中を通る呂光號はいま一つ時間的に問題があるので、一旦彰化まで戻り、彰化から海線経由の呂光號に乗ることにした。 これでは何のために台中に宿を取ったのかわからないが、南廻線での後悔は二度としたくないので、ここはあくまで「鉄」っぽいポリシーを貫こう。

朝は 7:00 に起きて 7:30 にチェックアウト。 昨日のおばあさんが今日もフロントにおられたので、今までずっと謎であった「ぐえりーかー」の意味を尋ねてみようとするが、なかなか私の言わんとしていることが通じない。 いっしょにいた別のおじさんは英語が出来るようなので、何とか意志疎通を図ると、紙に「各位旅客」と書いてくれた。 なるほど、「こ・い・りー・かー」だったのか。納得。この旅最大の疑問が解けたぞ。

分岐点・彰化へ

500 系電車の方向幕

EMU500 型電車の方向幕。西部幹線を走る列車では経由を示すために必ず「山」「海」が表示されている。

電車 2495 次 台中(8:16) → 彰化(8:38) 27 元

宿を出る前に昨日食べ損なったお粥を食べてから台中車站へ。 台中車站には自動券売機がないようなので窓口で車票を買い、通勤電車に乗って一路彰化へ。 やはり電車は窓が小さく、車窓を眺めるのには向かない。 電車の車内アナウンスは女声による事前録音。ふむ、注意して聞けば確かに「各位旅客」だ。

ほどなく彰化に到着。

思い出の街、新竹へ

呂光號 12 次 彰化(9:33) → 新竹(11:29) 184 元

彰化ではまず、新竹(Hsinchu; シンチュー)までの車票を購入。無事に座席が取れた。9 車 37 号。

さて、昨日は買物をしてしまったため、新台幣の残りが 4,000 元を切ってしまった。 台北は宿泊施設の料金が高いし、何かあった場合のことを考えると何とも心細いので、彰化で両替をしておくことにする。

銀行がすぐに見付かるかどうか不安だったが、站前をちょっと歩くとすぐに彰化銀行が見付かった。 まだ 9 時前なので銀行は開いておらず、しばらく時間を潰すが、9 時になる前にシャッターが開いたのでいそいそと入る。 ここで再び 2 万円を両替。台湾の物価が安いとはいっても、さすがに 1 週間近くも滞在するとそれなりにお金がかかる。

彰化車站に戻り、月台に入って待つこと 20 分、呂光號が 3 分遅れで到着。おお、この呂光號は新型客車だぞ。 乗り込んでみると今まで乗った客車の中で一番綺麗であり、日本の特急と比べてもなんら遜色ない。

昨日も乗った海線で、一路新竹へ。 今日は晴れているので台湾海峡が綺麗に見えるが、南廻線のような美しさはない。 やはり南廻線を自強號でスッ飛ばしたのは大きな失敗であった。

後龍の少し手前でお弁当の車内販売が回ってきた(販売員は服務小姐ではなく、男性であったが)。 まだお昼には早いが、やっぱり駅弁は車内で食べたいよな、と思い買い求める。 台鐵のお弁当には 60 元と 100 元の 2 種類しかなく、日本のように複数の中から選ぶということは出来ない。 しかしこのお弁当、派手さはないが素朴な味がして、食べ飽きない。 日本でなら車内で駅弁を買おうものなら 1,000 円程度かかるかもしれないというのに、60 元(約 240 円)でこんなにシアワセな気分になれるなんて、素晴らしいことだ。

竹南を出ると再び遠くに海が見えたりするが、基本的には住宅や建物が立ち並ぶ中を列車は進む。 そして私にとっての思い出の街、新竹に到着。

新竹での失敗

新竹車站

新竹車站はヨーロッパ・バロック式建築の代表作。セメントを使用した站舎としては台湾最古のもの。

新竹は台湾におけるハイテク産業の中心地。新竹郊外には工業園区があり、ここには Acer など、台湾の有名電子メーカーや半導体メーカーが工場を連ねている。

ここは私にとって本当に思い出深い街である。 かつてここに延べ 1 ヵ月弱滞在し、装置の開発やデバッグを行ったからだ。 土日がなかったり徹夜作業だったりと苦労ばかりだったが、今となってはいい思い出である。 台湾で餃子を食べ、そのうまさに感動したのもこの街だ。

新竹車站の站舎は日本統治時代の 1913 年に落成したもの。 まだ財政が豊かだったころに建てられた重厚な建築物で、以前から「これは凄い建物だ!」と思っていた。 しかし車站を出てみると、站舎にはグリーンのネットやら多数の木の棒やらが渡されているではないか。 何と新竹站舎は補修中だったのだ。 車站正面に掲示してあるポスターによると、新竹車站が省定古蹟(台湾省指定の史跡)として認定されたので、そのための補修作業であるらしい。 産業遺産の保護と言う観点からは非常に喜ばしいことだが、写真を撮ろうと思っていただけにちょっと残念。

新竹の街は久しぶりなので散策したいところだが、内灣線の発車が 12:10 なのでそのような時間はない。 ただ、かつて私が新竹にいた頃は建築中だった站前の太平洋そごうが、完成して元気に営業しているのに気がついた。 日本ではイロイロとアレだが、アジアにおける「そごう」はかなりのブランドであるらしい。

さて、車站に戻って内灣線の往復車票を購入。 ここでフィルムの残数が心細いことに気がつき、やむを得ず車站内のセブンイレブンでレンズ付きフィルムを購入。 しかし、27 枚で 349 元はやはり高い。

改札の電光掲示板には「第 2 月台」と書かれていたので、跨線橋を渡って月台へ進む。月台の電光掲示板にもちゃんと「12:10 内灣 柴快」(*1)と表示されているが、まだ列車は入線していないようだ。 始発なのにこんなに入線が遅くていいのかな、などと暢気に考えていたが、これが後程悲劇を呼ぶ。

ようやく入線してきたのは通勤電車。あれ? と思ったが、「これが出てから入線するのかな」と考えてあまり気にしなかった。 しかし待てどくらせどこの電車が発車する気配はなく、時間はどんどん過ぎてゆく。発車時刻の 12:10 になっても何も起こらない。ふと月台の電光掲示板を見ると、「12:22 基隆 電車」などという表示に変わっているではないか。どうなっているのだ。

すると通りかかったおじさんがホームの北側を指さす。 何と、気動車が今まさに発車したところ。 実は内灣線の専用ホームは第 2 月台の北端にあり、列車はそこから発着するのであった。 そちらに向かうと、確かに「往内灣線乘車處」と書かれている。やられた。

内灣線の発車月台

内灣線の発車月台。日本で言うところの「切欠式ホーム」である。

次の内灣線は 13:31。思いきり時間が空いてしまった。 しかし何より悲しいのは、12:10 の内灣線で往復した後に乗ろうと思っていた、 花蓮行平快に乗れなくなってしまったことがこれで確定したことである。 最後はやはり客車鈍行で締めたかっただけに、自分のマヌケさにほとほと嫌気がさす。

既に車票に鋏を入れてしまったので表に出るわけにもいかず、月台で適当に時間を潰す。 新竹は「風城」と言われる程に風が強い街であり、特に冬季の北東からの季節風の強さは有名だ。 既に季節は冬ではないにしても、この日も例に洩れず風が強く、ホームで吹き晒されていると何とも惨めな気持ちになって仕方がない。

*1: 「柴油快車」の略。「柴油」とは中国語で「ディーゼル」を意味する。

いよいよ内灣線へ

復興號 3251 次 新竹(13:31) → 内灣(14:25)
復興號 3252 次 内灣(15:09) → 新竹(16:02) 74 元(往復)

13:00 頃にようやく(いや、自分が悪いのだが)内灣線の気動車が入線してきた。 他の支線同様、DR1000 型を使用した気動車復興號で、3 両編成。 乗り込んで待つこと 30 分、ようやく列車は内灣へ向けて出発。 車内には乗客は 2、3 人ずつほどしかいない。

内灣線は台湾の光復後の 1947 年(民国 36 年)、竹東工業区のセメント / ガラス / 木材や、竹、茶などの農産物を運ぶために新竹 - 竹東間に開通。 その後、1950 年には合興(フォーシン)、翌 1951 年には内灣(ネェーワン)まで延長された。旅客収入は赤字だが、貨物運送の黒字がそれを補っている。

列車は河に沿って一路内灣へと走る。沿線は田園風景が続いてのどかそのもの。 やはりこの手の雰囲気のローカル単線というのは捨てがたい味がある。 竹東(Chudong; チュートン)では新竹方面へ向かう同型気動車と交換。 しばらく時間があるのでホームに出て見ると、東部幹線でも見た腕木式信号機があるではないか。とりあえず撮影。 また、ここの站舎は瓦ぶきのなかなか古いもの。途中下車して表からじっくりと眺めたいところだが、残念。

次の横山(ホォンサン)は無人駅で站舎もない。簡単な屋根とベンチはあるが、 そのまわりは原付だらけである。続く九讃頭(チュウツァントウ)でタブレット交換を行い、やがて列車は合興へ。

合興車站

合興車站は 1953 年に落成。赤と青のカラーリングが可愛らしい。

合興站はかつてのスイッチバック站だったようで、広い構内や貨物用(?)ホーム、そして站舎には手動ポイント切替装置が備えられている。 しかし旅客用ホームは極端に狭く、列車 2 両弱分程度の長さしかない。 この辺りから線路は徐々に山間部に入り、やがて終点・内灣に到着。

内灣車站

内灣車站。内灣線の站舎にはこのように「中央が出っ張った」スタイルが多い。

内灣は山間の小さな田舎町で車も少なく、聞こえるのは車站に停車中の列車のディーゼル音くらいのものである。 站前に何軒かの店が並んでいるのは日本の田舎町と同じ。 站前の店をちょっと冷やかしてみると、なんと「飲んで下さい」とばかりにビールを扱っているではないか。 昼間ではあるがせっかくなので買って飲み、その後は站に戻って列車の発車を待つ。 帰りの列車は行きよりも乗客が多いが、それでも私のいる車両で 15 人程度。

途中、九讃頭で站舎を撮影すべく月台に降りる。 ふと月台にいる車長を見ると、まだ若い男性である。 「英語なら通じるかも」と思い、声をかけてみた。 紙に「火車迷」と書いて見せると笑ってくれ、後は自然と会話になる。 台湾を鉄道で一周しているというと、「素晴らしい」と言ってくれた。

竹東站で再びホームに降りる。 すると先程の車長、私に一枚の硬券を差し出してくれた。車長の好意に感謝。

やがて列車は新竹に到着。 平快に乗れなかったのは悔しいが、今更悔やんでも仕方がない。後はこのまま、一路台北へと向かうだけだ。

流れ行く台湾を眺めながら

呂光號 24 次 新竹(16:17) → 台北(17:46) 139 元

さて、台北行きのプランであるが、平快を逃したとは言え、最後はやはり客車で締めたいと思う。 16:17 の呂光號と 17:26 の復興號があるが、台北の宿が決まっていないので早めに台北に着いておきたい。 そこで、この旅最後の列車は呂光號と決めた(実は最後にはならなかったのであるが)。

さすがに夕方の混雑する時間帯だけあって、呂光號は無座であった。 この呂光號は嬉しいことに旧型客車。 台鐵乗り潰しの旅を締めくくるにはまたとない列車だ。 最後尾のデッキを陣取って、新竹に別れを告げる。

列車の後ろへと流れて行く台湾の風景を見ながら、この旅も終わりなのだなぁと思うと、何となく寂しくなってくる。 楽しい旅だったが、若干の不満が残る旅でもあった。 近いうちに再度訪れて、今度はもっと意義深い旅にしようと誓う。

途中で自強號による追い抜きなどもあったが、列車は滞りなく中[土歴](Jhongli; ツォンリー)へと到着。 多くの人が乗り込んできて、私がいるデッキにも 10 人ほどがやってきたため、狭いデッキは大混雑。 時間が時間なのでデッキを独占というわけにはいかなくなったが、こうやってデッキから風景を楽しめる旅もあと 1 時間程だ。ゆっくりと味わいながら台北へと向かおう。

最後の最後でトラブルが

ところが、呂光號はいつまでたっても発車する気配がないし、車長はトランシーバで何やら外部とやりとりをしている。 別の月台には自強號も 2 台ほど止まったままだ。 車站のアナウンスでも何か言っているが、中国語なのでさっぱりわからない。 どうやら、事故か何かのトラブルがあったようだ。

このままでは埓があかない。 呂光號の車長は世代的に英語は駄目そうだったので、一緒にいた服務小姐に英語で何が起こっているのかを尋ねてみたところ、車長が「車票を見せてくれ」と身ぶり手振りで説明してきた。 車票を差し出すと、別の月台に止まっている旧型電車の自強號を指さす。「あれに乗れ」と言っているようだ。

というわけで地下道を通って別の月台に移動。 2 台停車している自強號のどちらに乗ったものかと考えたが、悩んでも仕方がないので適当に選んだほうに乗り込む。 乗り込んだはいいがこちらも全然発車する気配がないし、当然ながら車内アナウンスも何を言っているのかわからない。 日本でもそうなのだが、この手のトラブルの際に英語でのアナウンスがないのは外国人には結構辛い。 事態が理解出来ないのだ。

側にいた高校生くらいの女の子にやはり英語で尋ねてみたが、どうも英語は駄目なようで、中国語でいろいろと説明してはくれるものの、私にはさっぱり理解出来ない。 そこで筆談か、とも思ったが、そもそも中国語で「なぜ」という概念ををどのように表現してよいものかが分からないので困った。 「何停車?」などと書いてみても、この列車はどこそこに停車する、というような答が返ってくるし。

ところがここで助け船。 すぐ側の席に座っていた美人のおねーちゃんが英語で話しかけてくれたのだ。 すぐさま会話をそちらに移す。どうやらやはり何らかのトラブルがあって、全列車止まっているようだ。 おねーちゃんの言によると「1 時間程度遅れるらしい」とのこと。 何はともあれ事態が飲み込めたので安心。 しかしこのおねーちゃん、流暢な英語を話すなぁ。羨ましい。

結局、17:45 頃に中[土歴]を出発。 「本来ならもう台北に着いている時間じゃないか」などと言ってみても始まらない。 自強號の通路に立ったまま、台北に着くのをじっと待つ。途中、桃園(Taoyuan; タゥイェン)でしばらく停車したものの、それ以外は大きな問題もなく、今や地下駅となった板橋(Banciao; パンチャウ)に到着。 この站、以前に来たときは地上駅だった覚えがある。 台北近郊の地下区間が延伸されたようだ。

ところが板橋を発車した直後に客室内の電気が半分消え、空調のモーター音も止まった。 また何かのトラブルか、と車内は騒然となるが、数分で復帰しそのまま発車。 板橋を出れば台北はすぐだ。荷物を網棚から降ろして、デッキで待機していようと思いデッキに移動すると… 何と、この自強號のデッキドアも手動であった。電車なのに。

結局、台北についたのは 18:50 頃。 最後の最後で極端な経験をしてしまい、嬉しいやら悲しいやら。 月台でこの旅最後の列車となった自強號の写真を撮影し、これで台鐵乗り潰しの長い旅もお終いとなった。 だが、達成感よりも寂しさのほうが大きい。自強號が見えなくなるまで見送ってから、月台を出る。

ちなみに、先程の呂光號であるが、台北車站の掲示板によるとこの時点で 70 分遅れ。 勿論まだ台北には到着していない。自強號に移動しておいて正解であった。

台北にて

今晩の宿は中[土歴]での長い待ち時間の間に選んでおいた緑峯大飯店に決定。 このホテルは民生東路付近にあるので、MRT を使用して双連まで移動する。

MRT とは「Mass Rapit Transit」の略で、台北に新しく出来た公共交通機関。 日本の地下鉄や新交通システムに相当する。 今まで台北市内の移動にはバスかタクシーを利用するしかなかったのだが、この MRT が出来たおかげで、台北市内の移動方法にも幅が出た。 MRT は現在 6 本が開通しており、最初に開通した木柵線はゴムタイヤを履いた「新交通システム」だが、他の線は全て標準軌の通常の鉄道だ。 車票は名刺大の磁気カードになっていて、自動券売機で購入する。 磁気カードを改札に通すと検札完了で、出るときは改札に通せば回収される仕組み。 なかなか興味深いシステムだ。なお、MRT では站構内及び列車内は完全飲食禁止。 站内の出入口の前には黄色の線が引いてあり、この線を内側では喫煙・飲食はおろか、ガムさえ噛んでいてはいけないという。違反すると罰金 1,500 元。

MRT 双連站で下車し、緑峯大飯店へ。 日本語 OK の上に一泊 1,210 元という、台北のホテルにしてはかなりの安さ。 部屋はやや小さいものの清潔で落ち着けるし、台湾茶芸用の茶器まで備え付けられている。 ここは大当たりであった(しかし茶器はあっても、茶葉はなかった。

夜は近所で食事をした後、華西観光夜市へ。 以前ならバスか徒歩しか交通手段はなかったようだが、今では MRT 板橋線があるので非常に行きやすい。

華西観光夜市はガイドブックにも「治安はあまりよくない」と書かれているが、あからさまにカタギではないと思われる人間が歩いていたり、一歩角を曲がると怪しげな雰囲気が漂ってきたりと、確かに治安は悪そうだ。 この夜市、桂林路で一旦途切れるのだが、その向こうは大して面白いものもないし、一層治安が悪そうなので、婦女子の人は行かないほうがいいかもしれない(「おねーちゃん for sale」のお誘いも受けたし)。

ホテルに帰ってビールを飲みながらゴロゴロ。さて、明日はのんびりと台北観光だ。