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火車迷的臺灣旅遊

〜台湾を鉄道で旅する〜

台中車站

雨の中の台中車站。煉瓦造の站舎は味わいがある。

第 6 日目: 台中 → ニ水 → 車[土呈] → ニ水 → 竹南 → 台中

台中の朝

本日の予定は海線山線集集線。 せっかくなのでなるべく客車での旅がしたいところなのだが、集集線は気動車だし、西部幹線では殆ど普通列車が電車になってしまっている。 が、山線、海線ともそれぞれ日中に一本だけだが長距離の平快が残っており、このどちらかを軸にして今日の予定を決めようと思った。

いろいろと検討した結果、彰化 13:10 発の海線平快に照準を定め、これを基準として今日のスケジュールを立てることにする。本当なら早起きして、集集線のどこかの駅で途中下車するつもりであったのだが、昨日が極端な早起きだったのと、昨晩の就寝が遅かったため、それは諦めざるを得なかった。

というわけで 7:40 に起床。 真っ暗なので「あれ」と思ったが、考えてみればこの部屋には窓がないので、真っ暗なのは当り前である。 部屋の荷物をまとめたりして、8:20 に部屋を出る。

フロントには「地球の歩き方」に「日本語が話せるおばあさんがいる」と書かれていた、 まさにその本人だと思われるおばあさんがおられ、「お粥食べない? 日本人にはサービスなの」 とおっしゃってくれたが、いかんせん時間がない。後ろ髪を引かれる思いでホテルを出る。

ホテルを出ると外は雨でかなり寒い。傘を買おうとセブンイレブンに入ったが、日本とは違い、台湾のコンビニでは傘は売っていないようだ。 一応、台中の駅舎を撮影してはみたものの、雨だからどう写っているやら。

ニ水へ

復興號 3277 次 台中(8:48) → 車[土呈](10:47) 117 元

集集線は縦貫線の二水(Ershuei; アルシュイ)から分岐する支線で、日本時代の 1921 年(大正 10 年)に台湾電力株式会社の専用線として開通。翌年から旅客営業を開始し、1927 年(昭和 2 年)に当時の台湾総督府に買収されたもの。 かつては内陸部で取れる農産物の輸送で大いに賑わったそうだが、日本同様モータリゼーションの波には勝てず、現在では貨物輸送は殆どなされなくなってしまっているようだ。

さて、今日乗る予定の集集線の列車は台中からの直通である。 しかし、時刻手冊を見ても台中を何時に出るのかが分からないので焦っていた(後から調べたところ、ちゃんと「冷気柴客」として掲載されていたが)。 まぁ、二水に 10:04 までに到着すればちゃんと乗れるのだが、せっかくなので台中からの直通で行ってみたい気持ちのほうが強い。

台中車站内の時刻表でその列車を発見、早速車票を購入する。 車票には「通勤電車」と書かれているが、支線なので列車は復興號だ。

入線した復興號は 3 両編成の気動車で、平渓線で乗ったのと同じ DR1000 型。先頭車両である 3 号車には全面に彰化師範大学美術寮の学生の手による絵が描かれている。 集集線は沿線住民の努力で存続している路線だと聞いているが、このような活動もその努力の一環なのかもしれない。 DR1000 型車両は両側に運転席が付いているが、片側の運転席は先頭左側部分のボックスに収まっていて、右側は座席になっている。 そこでその右側の席を陣取った。やはり大きくなっても張り付きは楽しい。

列車は定刻通りに出発。しかしせっかく最前席を占拠したというのに、前面ガラスには雨滴がついていて前はよく見えない。 車窓を眺めながらぼんやりしていると、小さな女の子二人が先頭車両のドアの前に陣取り、張り付きモードに入っている。 踏切を越えるたびに「でぃん、でぃん、でぃん、でぃん…」などと口マネ。 国は違えど、やはり子供にとって張り付きというものは楽しいのだろう。 ということは、もしかして俺は子供レベルなのか?

彰化(Changhua; チァンファー)を出ると車窓には水田や畑が広がる喉かな風景が広がる。 しかし日本人の目には、水田に南国の木々が並ぶ風景には少々違和感を覚えるかもしれない。 やがて列車はやや大きな街である員林に到着し、少々長めに停車。 このころには雨も上がったので、前面ガラスの雨滴も取れ、眺めも良くなってきた。

一路縦貫線を南下して二水に到着すると、車内に係員が乗り込んで来て先頭ドアの前で待機。 眼前には同型の気動車が迫ってくる。そう、二水では更に 2 両が増結されるのだ。 せっかくなので、前面ガラスから連結の様子をじっくり眺める。 真上から連結作業を見るのは初めてだ。自動連結器がガッチャンと連結され、ホーム上で待機していた別の係員が線路に降りて各種作業を行う。 向こうの車両からはやはりまた別の係員が板を配置してピン止めを行い、最後に貫通幌(*1)を引き出して車両のドアとドアを結び、連結作業完了。

ニ水発車は 10:04 なので、月台に降りてみる。 この車站はそこそこ広い構内を持ち、無蓋車なども多数止まっている。その姿は日本と変わらない。 5 両編成になった列車を見てみると、新しく増結された 2 両の 1 両目にもやはり絵が掛かれていた。 増結のおかげで、車号は進行方向から順番に 2 - 1 - 3 - 2 - 1 といういびつなものになっている。車両番号は振り直さないようだ。

*1: 車両と車両の間を結んでいる、車両間移動用の幌のこと。

集集線へ

DR1000 系

ニ水車站に停車中の DR1000 型気動車。車体に描かれた絵に注目。

やがて列車は二水を出発し、縦貫線から分かれていよいよ集集線へ。 右手には南国風景が広がっているのだが、この頃からまた雨が降り出してきた。 晴れていれば美しい南国の景色がもっと映えたかもしれないと思うと、少々残念である。 だが左手に見える山々にはうっすらと霧がかかっていて、何とも良い雰囲気。これはこれでまた良い。

濁水を出ると車窓には緑が多くなり、ちょっとした林の中のような風景の中を列車は進む。 龍泉の直前で分岐するレールを発見し、おやと思ったが、これは軍事専用線らしい。 かつて貨物輸送に活躍した集集線も、今ではこの軍事専用線の貨物程度しか貨物輸送はないそうだ。

龍泉を出るとやや長めトンネルに入る。 トンネルを出ると今までとは違って開けた感じになり、家や建物が増えてくる。 町の風景の中を進むと集集線最大の站である集集(Chichi; チィチィ)に到着。 ここではお年寄りが多数乗り込んできた。

集集車站の駅舎は日本時代の 1930 年に建てられた、たいへん貴重な日本式木造站舎である。 このような駅舎はもう日本でも幾らも残っていないそうだ。 時間があれば降りてじっくりと見たいところだが、今日はそんな時間はない。 せめて駅舎の撮影だけでも…と思いきや、なんと集集車站は復建工程だとかで駅舎の回りに板が張り巡らされているではないか。 がっかり。後ほど調べたところによると、実は集集車站は台湾中部大地震で大被害を受け、集集線自体、地震後暫くの間は運行を中止していたとのこと。この修復作業はそのためのものなのだが、新しい站舎を立て直すのではなく、現在の集集車站站舎を修復するという姿勢が美しい。 また、車站に併設して集集鐵路文物博覧館なるものがあった。 こちらも時間があればぜひ見たいところであるが、今回は残念ながら見送りだ。

集集を出ると再び緑が多くなる。再びトンネルに入り、道路と並走しながら走る。 右手には阿里山連峰の一部だと思われる山々が雲を被りながらその姿を現した。 やがて列車は水里に停車、そして終点・車[土呈](ツォーツン)に到着。

再びニ水へ

車[土呈]車站

車[土呈]車站構内。典型的なローカル線の終点。

復興號 3278 次 車[土呈](10:50) → ニ水(11:34) 44 元

海線の平快のこともあるので、車程からは折り返し列車ですぐ戻らねばならない。 一旦ホームに降りて構内を撮影し、車内に戻る。 集集線は無人駅が多く、この車[土呈]も無人駅。站では車票が販売されていないので、 車内で車長から補價票(*2)を買う必要がある。

車[土呈]を出ると車長が通りかかったので「二水」と書いた紙を差し出すと、車長が日本語で「日本人ですか?」と尋ねてきた。 この車長、日本語が少し出来るそうで、何ともありがたい。 補價票はメモ用紙程度の大きさの紙で、日付や区間、運賃などを書く欄がある。 指定部分をちぎることで、金額を表示するのが何だか不思議。

しばらくすると先程の車長が戻ってきた。「これは紀念です」 と行って私に渡してくれたものは、何と今日の日付が入った 2 枚の使用済硬券(*3)。 水里 - 車[土呈]間のもので、一つは赤い「孩」の文字が入った孩童票(*4)である。 先程の折り返し時に回収したものであろう。 私は今回、車票は特に集めてはいなかったのだが、この車長の親切は本当に嬉しかった。いつもの「謝々」ではなく、思わず日本語で「ありがとう」と言ってしまったほどだ。

帰りも車窓の風景を楽しみ、無事に二水へ到着。雨もすっかり上がっていた。 二水ではやはり 2 両を切り離すようで、再度切り離し作業をゆっくり見学。しかし作業を行っていた係員、煙草を吸いながら作業していたが、問題ないのだろうか?

*2: 日本での乗越切符に相当。

*3: 自動券売機から吐き出される薄い切符ではなく、窓口などで販売されている厚紙で出来た切符のこと。

*4: 日本での小人用切符に相当。

ニ水から彰化へ

ニ水車站

1935 年(昭和 10 年)落成のニ水車站。站舎前の 4 本のヤシが南国らしくて良い。

復興號 108 次 二水(12:00) → 彰化(12:31) 47 元

二水で今度は彰化行きの車票を買う。 しかし、さすがにそろそろ紙に書くのではなく、きちんと会話に近いかたちで車票を買ってみたいところだ。 そこで思い切って窓口に「復興、彰化、一張」と言ってみる。 どうやら通じたようで、正しく車票が発行された。 一旦、站を出て写真を撮影。若干おなかが空いてきたので何か食べるものを、と思ったが、站前にはコンビニなどなく、かと言って店に入って食べる時間もないので、彰化まで我慢する。

車票は無座だったので最後尾の客車へ行き、デッキに立って流れ行く田園風景を思いきり楽しむ。 二水站の北側に一台の SL が置かれているのが見えたが、後で調べてみたところ、これは CT278 という機関車で、何と日本の「貴婦人」C57 の同型機である。 日立製作所によって 1953 年に作られたものらしい。 台湾には SL が 19 台残存しているが、これはその中の一台。事前に知っていればとちょっと後悔。

いつしか体が冷えてきたので、員林で車内に戻ることにした。 車内はガラガラなので適当な席に座る。そして復興號は何事もなく彰化に到着。

海線を制覇

彰化車站

彰化車站。この站にある扇状機関庫は台湾で唯一現存しているもの。

平快 166 次 彰化(13:10) → 竹南(14:44) 92 元

いよいよ、本日の目的である海線の平快に乗り込む。 窓口で車票を購入するが、今回の車票は「海線経由の平快で竹南(Jhunan; チューナン)まで」という若干複雑なものであるので、紙に書いて窓口に出す。勿論、車票は無事に発行された。

彰化站内を見ると、台鐵が経営する売店がある。 もしやと思って近付いてみると、何とまごうことなき台鐵のお弁当があるではないか。 喜び勇んで購入。60 元也。站内の待合スペースで駅弁を食べる。 ご飯の上に肉や卵などのおかずが載った素朴なもの。日本の駅弁のように派手ではないが、なかなかうまい。

お弁当を食べ終った後は站舎の写真を撮りに表へ。 しかし残り 25 分程度の空き時間ではそれ以上何も出来ないので、再び站内へ戻って時間を潰し、13:00 に月台へ移動。月台には旧型電車で編成された自強號が止まっていたので、とりあえず写真撮影。 当初の目的から離れてかなり鉄分が高い旅になってきたなぁと、内心苦笑する。

さて、定刻になったが列車は来ない。月台の電光掲示板には 6 分遅れの旨が表示されている。結局、平快は 6 分遅れで入線。 電気機関車が電源車と客車を牽引する編成で、基隆に行くときに使用した SP2300 型がメインとなっているが、最初の 3 両は「代用行李車」という荷物車でびっくり。 要するに一般の 3 等客車を荷物車として改造した車両である。 日本では荷物車など殆ど見なくなったが、台鐵ではまだまだ現役だ。

乗車してからも平快はなかなか発車せず、結局、彰化を 10 分遅れで発車。 何となく、定刻通り竹南に着くのかという不安に駆られる(この不安は後程的中するのだが)。

台鐵の普通客車も今回で 3 回目となるが、車内はやはり汚いし空調もないし、電気もつかないので薄暗いしで、そういう意味ではどうしようもない。 しかも車内はガラガラ、あまつさえトイレの臭いが客室内にまで漂ってくる(笑)。 客車での旅が好きな人間や鉄道ファンであればともかく、それ以外でこんな列車を狙って乗るような人間は、はっきり言ってよほどの物好きであろう。 婦女子の人の中には「きたな〜い」とか「くさ〜い」とか、「トイレが汚くて使えな〜い」などと我侭を言ったり、あまつさえシートにハンカチを敷いて座るような輩が出てくるかもしれない。 そんな女は問答無用で蹴りだ、うりゃ。

海線は部分的に単線なので、途中の追分や大[月士]などの站で竹南から来た列車と交換を行う。 この平快は時刻表上では追分には止まらないのだが、交換のために運転停車(*5)。追分站の站舎は 1922 年完成の日本式木造建築で、本当は下車して駅舎を見てみたかった。 当初の案では一旦電車でここまで来て、站舎を見た後に追分からこの平快に乗るつもりであったのだが、平快が追分に止まらないので諦めたのである。とりあえず、車内から駅舎の写真を撮影。

やがて列車は台中港(Taichunggang; タイツォンガン)を通過。ここでは海側へ向かって分岐する単線が見えた。 貨物線の台中港線だと思われる。この辺りの水田ではもう田植えが始まっている。さすがは南国台湾。 途中駅の通霄を出るとしばらくは台湾海峡を左手に見ながら走る。 今日は曇りなので南廻線のときのように「青い海」とはいかないが、やはり海を見ながら走るのは気持ちがよい。

その海とも龍港(Longgang; ロンガン)を通過した辺りでお別れ。列車は後龍に停車した後、竹南へと到着。 しかし到着時刻は 25 分遅れの 15:10 であった。東部幹線でもそうだったのだが、平快というのはいつもこんなにアバウトなダイヤで運行されているのだろうか。おかげで 15:00 の呂光號に乗り損なってしまった。

乗り損なったものは仕方がない。17:05 の呂光號で台中へ戻ることにして、窓口で「呂光、台中、一張」と伝えた。 しかし発音が悪かったのか、出て来たのは 16:21 の自強號の車票。 訂正しようかとも思ったが、うまく伝える自信がなかったのでそのまま自強號に乗ることにする(弱気)。

*5: 旅客扱いは行わないが、運転上の都合で駅に停車すること。 ここで書いたような他列車による交換や追越、給水などがメインであるが、変わったところでは夜行列車が終点到着を日の出後にするために、日の出まで途中駅で時間を潰す、などというものもある。

山線経由で台中へ

竹南車站

山線と海線の分岐点、竹南車站。中央の像は蒋介石先総統。

自強號 1029 次 竹南(16:21) → 台中(17:14) 155 元

えらく時間が開いてしまったが、表は寒くて竹南の街を散策する根性が失せたので、駅前の喫茶店で暖かいミルクジャスミンティーを飲みながら時間を潰す。 この喫茶店、BGM が台湾ポップスだったのでゆっくりと落ち着けた(そんな人間も少ないとは思うのだが)。

さて、自強號に乗って台中に帰ろうと月台へ。台北方向からプッシュプル編成の自強號が来るが…おや、どうも入線位置が違うような。 実は乗り場は第 3 月台なのに、私が間違えて第 1 月台にいただけ。 大慌てで第 3 月台に走り、何とか乗り込めたが乗った場所は 6 車。 席は 11 車 24 号なので、延々と車内を歩く羽目に。マヌケだ。

席に着くと横の席に座っていたお兄さんが何か話しかけてきたが、中国語なので何ともならない。 このお兄さん、モバギに随分と興味があるご様子だったが、揺れる車内で筆談につき合ってもらうのも悪かったので、やむを得ず無視(というと言葉が悪いが)させて頂いた。

山線(台中線)は苗栗(Miaoli; ミャウリー)までは普通の都市部のような雰囲気の中を進むが、そこを抜け出すといよいよ山間部に入る。 山線は最近まで単線であり、海抜 402m 地点にあった勝興(スンシン)での列車の行き違いは台鐵名所の一つであったそうだ。 しかし山線が複線化に伴って新線に移っために勝興站も廃止となり、もはやそのような光景は見られない。

三義(Sanyi; サンイー)を通過すると複線化のために掘られた長いトンネルに入る。 トンネルを抜けると田畑が広がる風景の中、泰安(タイアン)、后里(Houli; ホーリー)と通過。このあたりまで来ると山間部の雰囲気は既にない。

やがて列車は豊原(Fongyuan; ホンユァン)に停車。ここからは台中近郊の雰囲気になり、列車は家々や建物の間を抜けて台中に到着。 確かに最新鋭車両での「移動」は快適だが、行きの平快で味わったような「旅」の楽しみはない気がする。 勿論、あれを「旅の楽しみ」と言える人間であれば、だが。

再び台中の夜

台中車站を出ると、随分と暖かいことに気がつく。竹南で感じた寒さは全くない。 山一つ越えただけでこんなに差が出るものなのだろうか。

一旦宿に戻った後は、昨日同様に街中を徘徊。 古い建物見物(彰化商業銀行はなかなか味があった)をしたり、書店を回ったり CD 屋を探したりする。 探し方が悪かったのか CD 屋は見付からなかったが、書店では台湾の鉄道関係の書籍を 4 冊程仕入れることが出来た。 台湾では鉄道関係の書籍はあまりないようであるが、日本と同じように旅行関係の棚(台湾では「旅遊」となる)を探すと若干置いてあるようだ。 また、たまたま私が入った書店では「台湾研究」なる棚に結構な量が揃っていた。

夜は仕入れた「お宝」を眺めながらお約束通りビールを飲み、 乾いていなかった洗濯物を乾かし直して、明日に備えて眠りにつく。