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火車迷的臺灣旅遊

〜台湾を鉄道で旅する〜

阿里山號側面の方向表示

阿里山號對快客車側面の方向表示。

第 4 日目: 高雄 → 嘉義 → 阿里山

電車で台南へ

500 型通勤電車

高雄車站停車中の 500 型通勤電車。 横に止まっている客車のドアは開いたまま。 このときは何とも思わなかったが…(本文参照)。

電車 2618 次 高雄(7:53) → 台南(8:48) 69 元

この日は 6:30 に起床し、ホテルで食事を取ってから高雄車站へ。まずは台南(Tainan; タイナン)まで電車で向かうことにする。自動券売機で車票を買い、乗り場である第 2 月台へ。

月台には松山行の呂光號が入線していた。 西部幹線の呂光號は東部幹線と同様に客車編成だが、牽引するのはディーゼル機関車ではなく電気機関車になっている。 この電気機関車、なかなか堂々とした面構えで、思わず写真を一枚。

発車まではまだ時間があるのでベンチに座っていると、Look のツアーで来ている日本人が横に腰かけられたので、声をかけてみる。 東京から来られた品のいい老夫婦と、その娘さんかと思われる中年のご婦人。 台湾を鉄道で一周していると言うと驚かれた様子。 これから阿里山に行くと言うと、「それじゃガイドさんに話を聞いてみたら」 とおっしゃられるので、同行の中国人ガイド氏にちょっと話を聞いてみる。 しかし車票が取れないだの山頂では宿が無いかもしれないだのと、嬉しくない話ばかりしてくれて、思いっきりへこませられる。 もしかして、次は Look を使えと言っているのか、暗黙のうちに。

そうこうしているうちに電車が高雄の第 2 月台に入線。 沢山の人がわらわらと降り出したが、すると驚いたことにみんな線路に降り、横の線路に止まっている客車のドアを開けて、客車を通り抜けて改札出口へ向かうではないか。そんなのありなのか。

この電車は EMU 500 型といい、韓国の大宇(デウ)重工業製。 電車の正面には「DAEWOO」のロゴが入ったプレートが誇らしげに輝いている。 勿論、電車の座席はロングシート。のんびりと車窓を眺めるには辛い。 しかも、窓そのものがあまり大きくないため、なおさら車窓風景を眺めるには向かない。 これなら呂光號のほうがよかったかもと思った。

電車は高雄を出発し、南国風景の中を進む。 だが同じ南国風景とは言っても、昨日の南廻線 / 屏東線沿線よりはさすがに開けた感じだ。 やがて台南に到着。ここで客車列車に乗り換えだ。

不安にかられつつ、嘉義へ

台南車站

台南車站。

復興號 106 次 台南(9:40) → 嘉義(10:31) 109 元

台南はかつて台湾の首都であったこともある旧都であり、台湾の京都とも言われている。 市内には古跡も数多く、料理もおいしいとの評判だ。 本当なら是非観光したいところなのだがそのような時間はなく、車票を買って站舎の写真を撮ったら後は車站近辺を散策するのが精一杯。 歴史のある街だけに残念である。

次は復興號で嘉義(Chiayi; チャーイー)まで向かう。 復興號車内ではのんびり車窓の風景を…と思ったが、私の座った席は緊急門(非常出口)のすぐ傍で、窓の位置が非常に悪い。 それならば最終車のデッキでと思ったが、乗務員氏がいてそれは出来そうになかった。

車内では車窓風景を楽しみながら今後の予定、特に阿里山號が取れなかった場合の検討をする。 今日の分の車票が取れればベストなのだが、そうそううまく行くかどうか。非常に心配である。

やがて嘉義に到着。この車站での結果如何で、これからの予定が大きく変わる。

車票が取れた!!

嘉義車站

嘉義車站。

復興號を降りると、阿里山號の車票があるかどうかを確認すべく、煙草も吸わずに窓口へ直行。 阿里山行きの車票を売る窓口は台鐵と共通で、「阿里山行」と書いてある 4 番窓口で取り扱っている。

「今天往阿里山列車有? 我要車票。去回」(*1) と紙に書いて手渡すと窓口の係員にも分かったらしく、 無事に阿里山號對快(*2) の去回票を発行してくれた。やった! この旅最大の心配事がようやくこれで解決。安心してどっと体の力が抜けた。

この車票は一枚に往復の列車番号 / 座席番号を記入するようになっている。 今の時点では「去」、つまり行きの部分にのみ列車番号(5 次)と時刻、そして座席番号が書いてあり、「回」の部分は空欄のまま。 つまり、帰りの座席の予約は阿里山で行わなければならない。

空襲時の避難経路

嘉義車站内に掲示されていた空襲時の避難経路。 建前上は、台湾は現在も中国との臨戦下にある。

さて、時間が 3 時間程度空いたので車站の外に出ようとしたのだが、よく言われるように阿里山での宿やら阿里山行きのタクシーやらの客引きがうるさそうだ。 そうこうしているうちに、まずは宿の客引きがやってきた。オヤジである。

このオヤジ、まず 1,000 元と言ってきたが、高いと言うと 700 元にしてきた。 正直な所、ここで阿里山での宿を決定するつもりはなく、適当に追い返したかったのだが、そうするとこのオヤジ、いきなり「ちょっと待て」と言って別のおばさんを連れてきた。

そのおばさんも最初 1,000 元と言ってきたのだが、 渡されたパンフレットを見てびっくり。 BADGER 氏の 「'96 臺灣鐵路紀行」でも悪名高い美麗亞山荘である。 結局 700 元までは値を落してきたが、ここはもちろん勝負だ。 「我知人泊 500 元」(無論ハッタリ)と紙に書き、500 元まで値切った。その場で宿泊票を受け取り、500 元を支払う。

さて、「嘉義公園には阿里山で昔使われた機関車が展示されている」 と「地球の歩き方」に書いてあったので、それを見に行く。 ところがそんなものはどこにもない。 実はただ単に私が「嘉義公園」と「中正公園」を間違えただけであり、私が行ったのは「中正公園」だったのだ。 「嘉義公園」は車站からバスで 5 分のところだが、バスは嫌いだし、面倒臭くなったので諦める。

嘉義市内には特に見るべきものはなく、観光地は全て車站からバスを使用しないと行けない。 そこで嘉義でももっとも素朴な通りとして有名な中華路を散策することにしたのだが、 この時点で珈琲中毒が酷くなってきたため、止むを得ず途中で喫茶店に。 濃い珈琲が欲しかったのでエスプレッソを注文したが、酸っぱいばかりでお世辞にもおいしいとは言えず、よけいに珈琲中毒が酷くなった。 だが席や店の雰囲気は落ち着けるもので、しばしの間のんびり。

ついでに、今朝は伊代弁で言うところの「ぽん」の出が悪かったので、それも済ませておく(笑)。 しかし台湾ではどこも冷房が強い。まだ 3 月だというのに寒いほどの冷房である。 寒い北海道は暖房が強いが、暑い台湾は冷房が強いのだろうか。

喫茶店を出て通りを歩いていると銀行を見つけた。 新台幣の手持ちはまだあるが、一応非常用として 20,000 円を両替しておく。 その後は再び中華路を散策し、昼食を摂る。台湾はどこで何を食べてもおいしい。 店の若奥さんに「多好」と言うとニッコリしてくれた。 私のリュックを指さして何か言っているので、「阿里山」と言うと、「阿里山、サクラ」などと言っている。 山頂ではサクラが咲いているということなのだろうか。

*1: 「今天」は「本日」、「往」は「行く」、「去回」は「往復」の意味。

*2: 「對快」とは「對號快車」の略。 台湾では座席指定のことを「對號」(「対号」の正字)と言い、 座席指定の急行 / 特急は「對號快車」となる。

いよいよ阿里山森林鐵路へ

阿里山號對快 5 次 嘉義(13:30) → 沼平(17:12) 680 元(往復)

ここで阿里山について少々説明しておこう。

阿里山とは台湾最高峰である玉山(3952m)の西方に位置する祝山、大塔山などの海抜 2000m 級の 18 の山々の総称だ。 夏季には避暑地として大勢の人で賑わう一大観光地であり、祝山から見る御来光は、台湾有数の絶景と言われている。 ちなみにこの玉山、台湾が日本統治下(つまり日本の一部)にあった時には、「富士山よりも高い日本一の山」として「新高山」という名前が与えられていた。 有名な暗号文「ニイタカヤマノボレ」はここから来ている。

阿里山は豊富な森林資源を持ち、その森林資源を麓まで運び出すために、1906 年(明治 39 年)に日本によって森林鉄道建設が行われた。 これが現在の阿里山森林鐵路の母体であり、現在は台湾省林務局が管理している。 阿里山森林鐵路は麓から山頂までを結ぶ阿里山線と、 山頂にある数本の支線からなっているが、阿里山では既に森林伐採は行われていないため、現在では山頂の支線はほぼ全て休眠状態である。

阿里山線は最大勾配 62.4 パーミル(*3) という、日本の旧碓氷峠並の超急勾配で、かつてはこの勾配を登るためにベベルギヤ式蒸気機関車「シェイ(Shey)」(*4)が使用されていた。無論既に引退はしているのだが、今でもこのシェイは阿里山森林鐵路のシンボルと言える。

ところで、急勾配で客車や貨車を牽引していると、連結器が外れた場合に目も当てられない事態になる。 そこで阿里山森林鐵路では「推進運転」という登山鉄道独特の方法が採用されている。 これは機関車が後ろから客車 / 貨車を押し上げるというもので、仮に連結器が外れた場合でも問題とならないようにと考え出されたものだ。 現在は蒸気機関車ではなくディーゼル機関車で運用されているが、推進運転自体はそのまま踏襲されている。

かつて阿里山山頂へ向かうにはこの鉄道を利用する以外に交通手段はなく、最盛期は特急列車「中興號」「光復號」を始めとして、一日 5 往復の列車が走っていた。 しかし阿里山に観光道路が建設されてからというものの、阿里山観光の手段は鉄道よりも安くて高速なバスへと移ってしまい、寂しいことだが現在では阿里山線を走る定期列車は特急「阿里山號」の 1 往復のみ。 しかし阿里山線の車窓風景は素晴らしいものであり、最近ではその風景美が見直されつつある。 おかげで列車の車票は(時期にもよるが)予約困難だ。

また、御来光を見るために祝山へ登る手段には徒歩しかなかったのだが、旧来の山頂支線の一本である祝山線が観光鉄道として復活したので、祝山へのアクセスは飛躍的に便利になった(とは言っても、御来光の時間に合わせた早朝のみの運転だが)。

阿里山山頂にはもう一本、眠月線という山頂支線があり、松山方面への観光用に列車が運行されていた。 しかし台湾中部大地震の影響により眠月線は壊滅的な打撃を受け、残念なことに現在は運休中である。

さて、嘉義車站に戻って 13:00 頃に月台に入る。 阿里山森林鐵路の月台は台鐵の第 1 月台の北端にあり、 見事にナロー(*5) のレールが引かれている。

しかし待てど暮らせど列車は来ず、発車時刻ぎりぎりになってようやく入線。 ナローに乗るのは初めてなのだが、噂通りナローの列車は狭い。 乗り込んでリュックを網棚に上げようとしたのだが、網棚も非常に小さい。 なんとかぎりぎりで格納することが出来たが、途中で落ちてこないかと心配になるほどだ。 しかし私はまだ良いほうで、大きな旅行カバンなどで来ている人は荷物を置く場所に困っている様子。 リュックにしておいて良かったと改めて思う。 荷物を上げて席についたその瞬間に列車は嘉義を出発。 乗客の大半がまだ席についていないのに、である。

車内は家族連れやら何やらで非常に賑やかだ。 客車内はさすがに狭いが、リクライニングシートで座り心地は上々。 車内は左側が 2 列席、右側が 1 列席に分かれているが、私の席はは 1 車 8 号で、1 列席のほうであった。 それにしても結構揺れる。これがナローの乗り心地なのか。

車内はまだいろいろと混雑しているが、そんな中最初の停車駅である北門に到着。 阿里山森林鐵路の嘉義站は台鐵との連絡站のようなもので、どちらかと言えばこの北門のほうが平地側のターミナル的性格を備えているらしい。 確かに構内は広く、各種の車両も止まっている。 ここでは何人かの乗客が乗り込んで来た。 だが、車内はちっとも落ち着かない。荷物の格納場所に困って、みんな通路で右往左往している。 全席指定のはずなのに、荷物に席を取られて立っている人もいるし。

北門を出て少しすると、車内に大音量で何やら音楽が流れ出す。 何なんだ状態であるが、それが終ると車内アナウンスが流れる。 この頃にはようやく車内も落ち着いてきた。 風景も市街地から、徐々に郊外の風景へと変わってくる。

竹崎車站

竹崎車站。

やがて次の停車站・竹崎(チューチー)に到着。構内には古い無蓋車…と言うより、 単なる台車に近い車両が多数止まっていた。 ところで、これらの貨車を見ているうちに、阿里山森林鐵路では今までに見たこともない形の連結器を使用していることに気付く。 これは一体、どのようにして使用するのだろう(翌日分かるのだが)。

竹崎を出るといよいよ沿線は森林鉄道的様相を示してくる。 周囲は熱帯の植物が生い茂り…と思ったら、ここでもまた音楽が流れて、それからアナウンス。 どうやら案内放送のようだが、この鉄道はアナウンスの前に必ずこんな音楽を流すのだろうか。 ちなみにこの音楽、アナウンス毎に毎回変わるようだが、この回は運動会の徒競走の定番曲(名前は失念)だった。 懐かしいと言えば懐かしい。

列車はぐんぐんと高度を上げてゆき、車窓から見える風景も見下ろす形の風景になることが多くなってきた。 眼下に見える、緑の海の大パノラマが素晴らしい。まさに絶景である。

いよいよ有名な獨立山のスパイラル。 このスパイラルはどの地図でも、まるで絡んだ糸くずのように記されている、複雑な 3 連ループである。 ここからはしばらく右手側が山側になるので、デッキに出て左側を眺めることに。

デッキの先客はは若めのおばさんとおじいさん。 おばさんは左側のドアを全開にして座り込んでおり、おじいさんが何やらいろいろと説明している。 おばさんが場所を開けてくれたので、ご好意に甘えて私もその横に座り、前回のドアから眼下を眺める。 高度が上がって気温は若干下がったようだが、日差しは暖かくて心地よい。 しかし仮にこのドアから転げ落ちたとしたら、間違いなく死ぬだろう。

獨立山站を過ぎると気候区分帯は暖帯林に入る。 実は阿里山は地上から 海抜 800m までは熱帯林、800m から 1800m までは暖帯林(亜熱帯)、それ以上の高度では温帯林という、3 つの区分に分かれており、植生の変化が非常に興味深い。 暖帯林に入ると、木々の間には竹などが目立ち始める。

さて、列車のほうはほぼ定刻どおりに交力坪(ジャオリーピン)に到着。 ここでは地元のおじさんおばさん(主におばさん)がぞろぞろ乗り込んできて、満席の狭い車内は通路まで満員になった。 また、ここは交換駅でもある。下り列車と交換(*6)

次の水社寮では、先程のおじさんおばさん達がぞろぞろと降りた。 ここでも下り列車と交換を行う。 阿里山森林鐵路は一往復しか列車がないはずのだが、臨時列車なのだろうか。 站の向こうには学校らしきものがあり、また、駅の手前には小さな廟があった。 どうやら、ここはちょっとした集落のようだ。

高度が上がったせいか、はたまた冷房が強すぎるせいか、車内の気温はぐんぐん下がってくる。 半袖だった人達も上着を着始めた。私もリュックからウィンドブレーカーを出して着込む。

奮起湖車站

奮起湖車站。奥の車庫の中にはシェイが鎮座。

そうこうしているうちに奮起湖(フェンチーフー)へと到着。 ここには数分間停車するため、モノ売りのおばさんが車内に乗り込んできた。 また、乗客は我も我もとホームへ降り始め、若い人達のグループは機関車をバックに写真撮影。 私もホームへ降り、一服しつつも站舎や機関車を撮影。 すると、ホームの向こうに車庫を発見。 しかもその中には「18」というナンバーを付けた蒸機が鎮座しているではないか。思わずカメラを向ける。

ここから先は標高 1,500m を超える。 車窓の風景もススキや針葉樹のような、日本でも目にする植物が多くなってきた。 どんどん変わっていく植生を見ていると、鉄道というよりも、まるで巨大な植物園のようにさえ感じる。

やがて列車は多林(ターリン)(1,516m)に停車。車站は既にボロボロで、 站名票も「多林」の「多」の文字が落ちており、あばら屋のようになってしまっている。 列車が更に高度を上げるにつれ、窓が白く曇りだしてくる。この辺りから、そろそろ温帯林だ。

十字路(1,594m)を通過し、第一分道站(1,827m)(*7) で一回目のスイッチバック。ここから暫くは、機関車が客車を引き上げる。 坂を登り切ったところの第ニ分道(站はない)で 2 回目のスイッチバックを行い、奥深い森の中を黙々と推進運転。

二萬平を通過し、かなりの急勾配を上って第三分道である神木(シェンムー)へ到着。 ここでは切り倒された神木がその姿を晒していた。 この神木とは樹齢 3,000 年以上と言われていた古木。 1907 年にこの阿里山に分け入った日本人技師によって発見され、その偉大なる姿から「阿里山神木」と名づけられたというものだ。 しかし 1956 年に落雷の直撃を受けて一部が焼失、更に 1997 年の豪雨によって幹が裂けてしまい、阿里山森林鐵路の線路上に倒れるという事故が発生。 このままでは残った部分もいつ倒壊するかわからないので、安全のために切り倒されてしまったという。

神木站で三回目のスイッチバックを行い、再び機関車が客車を牽引。 第四分道である阿里山站で最後のスイッチバックを行い、推進運転で沼平へ。 海抜 2,274m、ここが阿里山森林鐵路阿里山線の終点だ。

沼平車站

沼平車站。現在の阿里山観光の玄関口だが、站前はやや寂しい。

かつて、この沼平は阿里山站と呼ばれており、現在の阿里山站は単なる無名の「第四分道」であった。 しかし第四分道に「阿里山新站」が出来た後、沼平は暫く阿里山旧站と呼ばれ、それから現在の「沼平」に改名されたらしい。 沼平站が再び阿里山森林鐵路の終点として返り咲いたのはつい最近、台湾中部大地震で阿里山站が壊滅的な大被害を蒙ってからだ。 なお、ホテルや店はその殆どが阿里山站前にあり、沼平站前には数軒のホテル以外には何もない。

*3: 1000m 進むごとに 62.4m 上がることを示す(6.24% と同じ)。 通常の鉄道では、25 パーミルもあれば「急勾配」とされる。

*4: 米国 LIMA 社による蒸気機関車。 阿里山森林鐵路の急勾配で運用可能な機関車として、日本時代の 1881 年に導入された。

*5: 2 本のレールの間の幅を「軌間(ゲージ)」というが、 この軌間が 762mm 幅の軌道を俗に「ナロー」と称する (「狭々軌」や、762mm が 2 フィート 6 インチであることから「ニブロク」とも呼ばれる)。 この軌間は日本でも大井川鉄道など、一部の路線で使用されている。 ちなみに、台鐵や JR の在来線で採用されているのは 1,067 mm の「狭軌」、新幹線で採用されているのは 1,436 mm の「標準軌」である。

*6: 単線区間における、駅での列車の行き違いをこのように称する(らしい)。

*7: 「分道」とはスイッチバックのこと。

阿里山の夜

列車を降りるとさすがに寒い。平地より気温は 13 度低いと言われているが、まさにその通りだ。

さて、阿里山山頂一帯は「阿里山森林遊楽區」と呼ばれる一種の保護地区であり、入山料を支払わねば沼平站を出ることが出来ない。 100 元を払って「阿里山森林遊楽區非仮日用票券」なる入山券を購入し、検札を受けて站を出る。 検札は券の角をちぎるだけ。ちなみにこの券、2 日間有効なのだが、逆に言えば仮に宿泊しなくとも 2 日有効の券を買わされてしまうということだ。

站を出ると左手に祝山線の車票販売窓口があるのだが窓口は閉まっており、どうやら車票は翌朝に購入するようだ。 窓口には時刻表が掲げられているので、それで翌朝の祝山線の時間を確認する。 5:40 発車、日の出は 6:40 で、祝山発は 7:10 ということ。 夏はもっと早いそうだ。寝坊な私にとってはありがたい。

宿へ向かうべく、坂を下って阿里山站へ。しかし沼平からは遠いなぁ。 20 分程度歩くと店が立ち並ぶ区域に出た。 となると「この上のほうに阿里山站があるはず」と思い探してみる。 どうやら阿里山站であったものらしい残骸を発見したので、写真撮影。

宿は狭かったがバス / トイレは部屋に備え付けられていた。 しかし布団が一枚しかなく、窓はすきま風が入りそうだし、けっこう寒いこの時期では辛いかもと思った(*8)。 冬は大丈夫なのだろうか。あまつさえ髭剃りもシャンプーもおいてないし。

夜は食事をしてからみやげ店などを眺める。 明日用に防寒着を追加しようかどうか迷ったが、後で荷物になるのも辛いのでやめておく。 一応、宿に帰ってから、明日着ていく予定の衣類で表に出てみた。 温度計によると気温は 9 度であるが、この温度なら何とかなりそうである。 もっとも、朝はもっと冷え込むのだろうが。

今晩は快晴。この分なら明日の御来光は OK そうだ。夜の阿里山ではすることなどない。 宿に帰ってモバギに向かい、風呂に入ってさっさと寝る。目覚しは 4:20 にセットした。

*8: 名誉のために言っておけば、実際は全く問題なかった。